責任

人の意見をジャッジするなと言われることがある。その主張を聞いてみると自分の考えに基づいて相手の意見を判断するのではなく、「そういう意見をあるのか」と相手の意見を尊重しろ、ということだ。

しかしその意見に従うと、その人の意見を信じる根拠というのは自分の中にはない。ゆえにその意見が間違っていたとしても信じた責任を自分でとることができない。

自分の考えに基づいてその主張に至った場合、その主張に至った考えのうち間違えていたところを修正できる。これを「責任を取る」と定義する。

人の考えに基づいた主張を棄却したとしても、責任の取り方がこの人の意見を聞かないなどという間接的な方法でしかない。その主張を行った本人に主張に至った根拠を問い正し、その思考を修正しないと集団全体としてみても思考を更新できない。

「思考を科学する」という本から前者のような思考更新を「ソフト的思考更新」、後者のような思考更新を「ハード的思考更新」と呼ぶ。「ソフト的思考更新」は人間にしか(特に言語を獲得した人間にしか)できない学習である。一方「ハード的思考更新」は生物進化的な思考更新である。いわゆる進化論ででてくる学習である。

「ソフト的思考更新」「ハード的思考更新」の進化速度を計算を後の課題にする。