アルファとその根拠

アルファは集団の秩序を無視する。つまり、その集団の秩序のもとになっている権力を行使するための根拠となる力が効かない。

例えば

暴力という力によって秩序づけられた不良集団に対して、喧嘩最強の男はアルファになれる。貴族社会に対してそれ以上の権力を持った人間はアルファになれる。いじめっ子集団に対して学校での社会性に興味もなく、いじめられても平気な子供はアルファになりうる。

普通の人間なら抗えない力に平然と逆らってしまうのがアルファだ。その根拠には2種類ある。集団を支配する力以上の力を持つ、または力に影響を受けない人間だ。難しいのは後者だ。それは根性と呼ばれたり、器と呼ばれたり、本質をみる力(例えば暴力を振るわれても警察に行けば制裁できるという考え)だったりする。それを持つ人はほとんどの場合先を見ている。苦難の先を見て、それに耐える力がアルファの資質といえる。

 

会話レベルと抽象

言葉は意味世界を指示する作用を持つ。ニクラス・ルーマンのシステム論のシステムは閉じているという主張から意味世界も閉じていると推測する。

レベルマイナス:自分の意味世界を指示する言葉しかつかえない

レベル0:会話の文脈から一つの意味世界を限定して言葉の意味を指示できない

レベル1:会話の文脈から一つの意味世界を限定して言葉の意味を指示できる

レベル2:会話の文脈から一つの意味世界を限定して言葉の意味を指示でき、話者の推論の推論を促すことができる。

レベル3:特定の意味世界の原理を推測し、言葉に変換できる。つまり世界を作れる。

 

説明

マイナス:どんな会話であっても自分につながる話しかできない。例えば自慢話しかえきない人などである。

0:概念が混然一体となっていて会話が成立しづらい。ニクラスルーマンのシステム論を理解できていない人。

1:以上の欠点のない人。やるべきことができている

弱さと抽象

弱さを特定の抽象化された世界の推論作業を進められない理由をその世界外の理由に帰着することと定義する。厳密にはその特定の世界とその人の心理システムの2つ以外に帰着することだ。

例えば、頑張れない理由を心の傷に帰着したりすることだ。ようは、そこに帰着しても責任が取れない、改善ができないことが弱さの要点だ。

自己責任

最低限の文系能力(知識習得能力)と理系能力(推論能力)を持てばあとは基本的(よほど酷くない場合 議論の余地あり)に自己責任である。人の平等性はリスクで計る。1%で一億円のチャンスを選んだAと99.999%で百万円のチャンスを選んだBは結果に関わらずに平等であると考える。そしてそのチャンスをつかむ方法は知識習得能力と推論能力をもっているすべての人間に開かれていると考える。

知識と推論によってチャンスを予測でき、そのリスクとリターンを推測できる。そのチャンスを選択したなら行動力を行使してそのチャンスに賭ける。そのチャンスが成功し、社会的な地位を手に入れたのなら権力を用いて異なるチャンスが推測できる環境に身をおける。

例えばあるビジネスが成功すると予測し、それを実行し成功したなら違う環境に入れる、というわけだ。

最初のチャンスは次のチャンスを予測できるだけの知識にたどり着けるかであるといえる。この点は本やネットという入手難易度の低い情報が万人の平等性を保証している

3つのわからない

わからない状態には3種類ある。

一 盲点

二 知識不足

三 天才的発想が必要

以上の状態はそのままクイズの種類になっている。

一 Q.ある親子が犯罪を犯しました。息子の裁判を担当した裁判官が「息子は裁けない」といいました。裁判官とその子の関係は? A.親子(どちらかは母親)

二 Q.コアラのマーチの成分を全て応えよ

三 Q.第二次世界大戦時において、米軍により焼野原になった後の都市に爆撃がなされた。なぜ米軍はこのようなことを? A.原爆投下時の爆撃機の重量変化による影響を実験するため。

このうち興味深いのは三だけである。三の天才的発想という言葉は「思考を科学する」という本の考え方を汲んだ。この本によると人間の思考とは立案と検証しかない。このうち立案とは推論である。そして機械的な方法で進まない推論を進める方法が上の3つの方法である。そして三とは推論のために必要な概念を生み出したうえで推論を行うことである。上のクイズでは攻撃以外に爆撃する目的「実験」という概念と「重い爆弾」「原爆」という概念があれば、原爆を落とす実験を行っている。という推論を行うことができる。

冠詞と言語学

「人間になにがわかるのか」という本で冠詞についての話がある。そもそも日本語の「ライオン」と英語の「Lion」は違う概念であると考える。

「lion」は概念としての(つまりライオンというもの)意味のみであるのに対し、

「ライオン」には概念としての意味、また目の前の個体としての意味を含む。

英文を見て見るとlionという名詞が単体ででてくることはない。必ず冠詞や指示語とともにでてくる。lionという名詞が出てくるのは例えば動物図鑑である。動物図鑑に出てくるライオンは傷も汚れも遺伝的疾患をもたない理想的な概念としてのライオンである。this lionは目の前にいるこのライオンである。my lionは私の飼っているライオンである。つまり指示語を伴うlionはライオンという集合から特定の条件を持った個体を指示する役割を持つ。一方で冠詞のaは何の条件を付与せずに集合から個体を抜き出す役割をもつ。

以上をみると日本人が名詞を使うときと比べて外国人は集合から抽出する操作が追加されている。このように言語によって脳内操作が変わるとしたら興味深い。このような操作の有無はコミュニケ―ション上どのような影響があるのか、ここから国民性の違いが説明できるのかなど、言語の違いによって生じる脳内操作の影響を知るという視点で言語学を学んでみたい

責任

人の意見をジャッジするなと言われることがある。その主張を聞いてみると自分の考えに基づいて相手の意見を判断するのではなく、「そういう意見をあるのか」と相手の意見を尊重しろ、ということだ。

しかしその意見に従うと、その人の意見を信じる根拠というのは自分の中にはない。ゆえにその意見が間違っていたとしても信じた責任を自分でとることができない。

自分の考えに基づいてその主張に至った場合、その主張に至った考えのうち間違えていたところを修正できる。これを「責任を取る」と定義する。

人の考えに基づいた主張を棄却したとしても、責任の取り方がこの人の意見を聞かないなどという間接的な方法でしかない。その主張を行った本人に主張に至った根拠を問い正し、その思考を修正しないと集団全体としてみても思考を更新できない。

「思考を科学する」という本から前者のような思考更新を「ソフト的思考更新」、後者のような思考更新を「ハード的思考更新」と呼ぶ。「ソフト的思考更新」は人間にしか(特に言語を獲得した人間にしか)できない学習である。一方「ハード的思考更新」は生物進化的な思考更新である。いわゆる進化論ででてくる学習である。

「ソフト的思考更新」「ハード的思考更新」の進化速度を計算を後の課題にする。